今回は、「強みと才能との違い」について書いてみます。
強みの定義とは、
「他の人には難しいけれども、自分にとっては当たり前に、簡単に出来てしまう事。あるいはなってしまう事」
です。
そして、「初めから備わっている力」のことです。
いきなり人よりも優れた結果を出せる、しかし本人にとっては呼吸レベルで普通、というのが強みです。
努力や鍛錬をして、やっと身に付けたものではありません。そういった、努力や鍛錬によって身に付けた力は「能力」と定義しています。
能力とは、努力や鍛錬によって身に着けたもの。才能とは、ひとよりも努力や訓練がいらず更に抜きんでて出来るようなこと。
能力は他の人も同じようなレベルで習得可能です。
そんな身に付けた能力の中で、人よりも努力や訓練がいらず、更に抜きん出て、出来るようなことを「才能」と言います。
例えば、車の免許を取りに行き、運転が出来るようになるのは能力です。
ほとんどの人が適切な手順を踏み、一定時間鍛えると、運転が出来るようになります。
でもその運転技術を更に高めて、カーレースやラリーで優勝してしまう人は運転技術の「才能」がある人になります。
正確に言うと、結果を出している人は、「強みだけ」、「才能だけ」でやっているのではなく、強みや能力や才能を掛け算して使っているのですが、それはまた別の機会に書きたいと思います。
強みが無感覚に近いとすれば、努力や鍛錬によって身に付けた能力や才能には、達成感や満足感があるのが特徴です。
才能や能力を磨けば磨くほど、自分らしさからは遠くなる。
以上が強みと才能の違いなのですが、ここまで読んだ方で、
「そんなに明確に分けて何になるの?別に結果がでるならどっちでもいいじゃない」
と思われる方もいるかもしれません。
ここで重要になってくるのが「自分らしさ」です。
強みは初めから備わっている力なので「自分らしさの一部」と言えます。
しかし、才能は後で身に付けた力なので「自分らしさ」とは言えません。
むしろ、能力や才能の中には、自分らしく生きるという観点からすると、「身に付けなくても良かったもの」が含まれていることがあります。
例えば、ある子供が
「未発見のものを見つけれる、開拓者の強み」
を持っていたとします。
スムーズにその強みを伸ばせば、ゆくゆくは海外を飛び回り、歴史に残るような発見をする冒険家になるかもしれません。
あるいは、潜在的な顧客が眠る地域に、新しい支店を立ち上げれるビジネスマンになっているかもしれません。
しかし、そういう強みを持つがゆえに、その子は恐れ知らずで、行ってはいけないところに一人で行ってしまったり、じっとしていられずすぐに居なくなってしまいます。
そこを過度に親や先生が叩いてしまうと、強みは死にます。
「考えて行動しなさい」「人に迷惑がかかることをしてはいけない」といった教育を執拗に施されてしまうと、頑張って、
人のことを考える
必要以上に周りの空気を読む
能力や才能を育ててしまいます。
この力を活用して、何か結果や成果を出したとしても、達成感や満足感は得れるかもしれませんが、<自分らしさ>からは遠いので、どこかで虚しさを感じたり、過度な承認欲求が出てしまったりします。
こういった能力や才能が、自分を殺してしまっているのなら、それは身に付けないほうが良かったと言えるのではなでしょうか。
今、自分が出している成果は、果たして強みベースなのか?能力や才能ベースなのか?を見極めるには、「無感覚」なのか「満足感や達成感がある」のかを注意深く見ていく必要があります。
ぜひ、自分の日常の感覚や感情に意識を向けてみてください。
まずは、今ある強みからスタートしてみてください。
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